*:.。o○o。.:*。o○o。.:*。o○o。.:*
あなたには、私たち天使からのガイダンスを受け取ったり、ハイヤーセルフの声を聞き分けたりするスピリチュアルな能力があります。
スピリチュアルな能力は、暗算したり、泳いだり、楽器を演奏したりという、他のどの能力とも同じように、得意不得意はあっても、誰にでもあるものです。
幼い頃から能力を発揮する人もいれば、後になって、力をつける人もいます。
何らかの出来事によって、急にスピリチュアルな能力に目覚める人もいますが、そのような「覚醒」をしなくても、必要に応じてだんだんと能力は高まっていきます。
(エゴはドラマチックな言葉が大好きなので、そのような言葉を使いたがります)
すべての人が、今世自分に必要な能力を持って生まれてきます。
あなたが、今、私たち天使のメッセージを受け取っているということは、あなた自身が、スピリチュアルな能力を必要としているということであり、あなたが自分をどう評価していたとしても、あなたにはスピリチュアルな能力があるのです。
あなたが自分のスピリチュアルな能力を生かすためには、まず、自分にそのような能力があると、信頼することが必要です。
もし、あなたが自分にはそんな力はないと思っていて、いきなり信頼できないなら、「自分にもスピリチュアルな能力があるかもしれない」と思ってみてください。
今できないという認識は同じでも、「ない」と「あるかもしれない」の間には、未来の可能性に関して、大きな隔たりがあります。
あなたが「あるかもしれない」「できるかもしれない」と考えると、その力を引き出す扉が開くのです。
あなたが生きている限り、あなたの能力について、あなたが「ない」と断定することはできません。
あなたに必要なものは、それが能力的なものであれ、必ずもたらされるのだと、いつも覚えていてください。
○スピリチュアルな能力を高めるために
スピリチュアルな能力というと、何か特別なもののように思うかもしれませんが、同じものを感覚や感性と表現するとどうでしょう。
特別なものではなく、誰にでも当然あるものと感じられるのではないでしょうか。
また、一口に、スピリチュアルな能力と言っても、様々なものがあります。
透視、霊媒、予知、チャネリング、動植物とのコミュニケーション・・・
人それぞれに、人生の目的と正しい道は異なっていて、どのような能力がどの程度必要かもまた、異なっています。
それは、他のどのような能力とも同じで、例えば、泳ぐことなら、クロール、バタフライ、平泳ぎのどれが得意か、また、みんなと楽しく海水浴ができればいいのか、オリンピックに出たいのかという違いです。
スピリチュアルな能力が、他の能力と異なるのは、練習量と上達度合いが単純に比例しないということです。
例えば、あなたが予知能力が欲しいとして、瞑想を繰り返し、未来を見る練習をしたとしても、すればするほど能力が上がる・・・ことは、ほとんどの場合、ありません。
スピリチュアルな認識は、基本的にあなたの意識の中で起こりますが、意識(頭)の中で起こることは、多分にエゴの影響を受けやすく、危険を伴う場合があります。
あなた方の中には、スピリチュアルな能力は、特別な人(選ばれた人)のみが持つものだという思い込みがありますが、そのような思い込みは、自分の能力を感じられるようになったときに、自分は特別な人間だという優越感に繋がります。
スピリチュアルな能力が高い人は、人間的にも素晴らしいと思われがちですが、スピリチュアルな能力も単純な能力なのですから、本当は、人間性とは何の関わりもありません。
あなた方のエゴは、自分が何かができると、すぐに自分の価値が上がったように感じますが、何かができなくてもあなたの価値が変わらないように、何かができることもあなたの価値とはまったく関わりません。
(何かができると、すぐに自分の価値が上がったと思いたくなるのは、もちろん、ありのままの自分に価値がないと思っているからです)
自分は特別な人間だという優越感は、自分の能力への過信となり、感覚によって本当に自分が受け取ったものと、自分の価値観や思い込みによって作り出したものをごちゃまぜにしてしまうのです。
例えば、あなたが「あなたは大丈夫です。今すぐに、○○をすると、結果が出るでしょう」というガイダンスを受け取ったと感じたとして、実際に受け取ったのは、「あなたは大丈夫です」までで、「○○をすると、結果が出るでしょう」は、思い込みや期待によって付け加えてしまったものの場合があります。
特に自分に関することは、願いが叶うことへの期待によって、受け取ったガイダンスに様々なものを付け加えてしまう傾向があります。
あなたの意識の中で起こることは、エゴによって、簡単にごまかされてしまうのです。
この世界の中には、確かにあなた方のエゴを増長させようとする存在もいて、あなた方のエゴが頭の中で作り上げた「架空のメッセンジャー」を乗っ取って、聖なる存在のふりをします。
そのような存在は、最もらしいことを言いながら、あなたを信じさせ、あなたがガイダンスを盲信して依存的になり、逆らえなくなると、一気に間違った方向へ引っ張ります。
あなた方のエゴを増長させようとする存在のすることは、あなた方の世界で起こっている詐欺の手口と同じです。
自分の能力を盲信し、願いが叶うことに執着していれば、容易に、そのような存在に騙されてしまうのです。
自分を愛する過程においては、エゴと向き合うことが必要であり、それによって、自分のエゴの思考や感情や行動に対して落ち着いていられるようになります。
そのような態度は、自分の能力を盲信するのでなく、かといって、疑い過ぎるのでもなく、自分の受け取ったビジョンやガイダンスに平静に対応する力となります。
あなた方のスピリチュアルな能力が、単純に上がらないのは、あなた方を守るためでもあるのです。
ですから、あなたがスピリチュアルな能力を高めたいなら、自分を愛することによって、自分に敏感になり、エゴ的な思考や感情に気づける態度が必要です。
また、自分を愛することによって愛を理解していれば、愛に基づいていないメッセージを選り分けられるようにもなります。
自分を愛していなければ、自分が受け取ったメッセージが聖なるものかどうかが、自分の価値を上下するようで、一喜一憂してしまいます。
だからエゴは、一度自分にスピリチュアルな能力があると思うと、それが多少怪しいと思っても、信じようとするのです。
様々な存在の声が聞こえるのは、単に、人混みを歩いていて、様々な人のおしゃべりが耳に入るようなものであり、ごく当たり前のことです。
だから、それが、
・愛に基づいているかどうか
・自分にとって正しいかどうか
・結果に関わらず、それに従ったら心が安らぐと感じられるかどうか
を判断基準にしなくてはいけません。
自分を愛する過程では、エゴを癒やしていくことによって、自分の中に揺るぎない静けさを感じるようになります。
思考がいつも頭の中を飛び交っているのでなく、頭の中が静かなので、私たち天使の声を聞き分け安くなります。
スピリチュアルな能力を高めるためにも、自分を愛することは、必要不可欠なのです。
あなたが、あなたの本質としっかり繋がっていれば、安全にスピリチュアルな存在とコミュニケーションできます。
スピリチュアルな能力とは、あなたがイメージしている以上のものです。
ビジョンを見たり、私たちの声を聞いたりということが能力だと思っている人が多いようですが、それだけでなく、この場所は気持ち悪いと感じたり、突然身体がある方向に向かって動いたり、どうしても嫌だという感情が抑えられなかったり、しようと思っていたことをすっかり忘れていたり・・・というようなことも、能力の一部です。
多くの人は、私たち天使の姿が見たい、とか、声を聞いて、いつでもアドバイスをもらいたい、と考えますが、それが、あなたの本当の幸せに繋がる訳ではありません。
最も大切なのは、あなたがスピリチュアルな能力によって、自分や大切な人を幸せに導けるかどうかであり、能力の高さではないのです。
○結果にこだわるエゴは、あなたの感覚を惑わせ、混乱させます
エゴは、過去と未来のことばかり考えて、今この瞬間にいることができません。
ですから、結果が出ること、望みが叶うことにこだわり、宇宙の流れを無視して、自分の思いついたうまく行きそうな方法や、過去のうまく行ったパターンで、すぐに結果を出そうとします。
でも、ある程度、直感や私たち天使の声を受け取れるようになると、単純に自分の考えで動いても成功しない、と感じるようになります。
(エゴに惑わされにくくなるのです)
そのようなとき、エゴは、自分のアイデアを、まるで直感や私たちからのガイダンスのように装います。
突然、アイデアが思い浮かんで、それをすればすぐに結果が出せると興奮が抑えられないようなときには、エゴが周到に意識をごまかそうとしている場合がほとんどです。
「結果がすぐに出せそうなアイデア」は、あなた方を興奮させ、気持ちを逸らせて、自分を見失わせてしまいます。
でも、アイデアも興奮も、すべてがエゴによるものであり、間違った方向に突き進もうとしているだけなのです。
何らかの直感やガイダンスを受け取って、興奮したり、期待が高まったりして、行動に突き進みたくなるときには、時間をかけて、興奮が収まるのを待ってみなくてはいけません。
宇宙は、あなたが行動に突き進んでしまいそうなときにも、それがエゴによるもので、今行動すべきではないというサインを出し続けますが、すっかり自分を見失っていると、そのサインに気づけません。
性急な行動は、結局のところ、今までの進歩を台無しにして、自分(エゴ)が変わらなくて済むよう、自分を元に戻すように働きます。
私たちがあなた方に、望みが叶うこと、結果が出ることへの執着を手放しましょう、と伝えるのは、現実化が近づくほど、エゴが、その執着を利用して、あなたを性急な行動に駆り立てるからです。
(あなたは執着が「悪い」から手放さなくてはいけないと考えるかもしれませんが、私たちは「執着が悪いもの」だと言っているのではありません)
望みを持てば、それが叶って欲しいと思うのは当然ですが、それがすぐに叶うかどうかに関わらず、あなたが安心していられるようになるには、望みが叶わないことに対する恐れを手放すことがとても大切です。
望みが叶わないことに対する恐れは、執着の根にあるものだからです。
そして、だからこそ、もちろん、そう簡単に手放せる訳はありません。
でも、どのような場合でも、まず恐れと向き合い、恐れに寄り添えば、最善のタイミングで、それを手放すことができるのです。
最終的には、宇宙が常に最善のことをしてくれているのだという信頼の中で、怖いことから逃げたい、何とか避けたいという気持ちを手放せるでしょう。
それは、あなた方の認識の範囲では、「覚悟を決める」のと、ほんの少しだけ似ています。
エゴはいつも、「逃げたい、避けたいというような気持ちを手放すと、恐れていることが起きてしまうのではないか」という恐れを抱きます。
でも、恐れを手放しても、それが起こるかどうかは分かりません。
(そして、ほとんどの場合、エゴが恐れによって大袈裟にしてしまった想像が、そのまま出来事として起こることはありません)
あなたは、どのような恐れも手放して大丈夫なのです。
「恐れを手放すことへの恐れ」を手放しながら、あなたが確かに守られていると感じられる体験を繰り返し、少しずつ宇宙への信頼と安心を育てていってください。
○自分が特別な存在だと思いたいエゴは、過去の栄光が手放せません
あの頃は良かったというノスタルジックな気持ちは、エゴが、今この瞬間から、気持ち良く意識を離すための手段です。
それが、過去世のものであれ、今世のものであれ、過去のある時点に対する憧憬は、そこに戻ろうとする意識となります。
過去のある時点に戻ろうとする意識は、望みのように認識されますが、それを望んでいるのが過去世の意識の場合、今世、あなたが本当に望むものと異なっていることがあります。
例えば、地球以外の星の人が、人間に転生した場合、元の星に帰りたいという想いを抱えていることがありますが、それは、「今ここ」で生きることの妨げとなってしまいます。
地球以外の星に限らず、過去世において、自分が納得行く生き方ができたときには、その自分が好きなので、エゴは、その場所、その自分にこだわりを持つのです。
「今の自分」に愛を注ぎ、今の自分を受け入れられれば、過去の自分、過去のある時点への憧憬は消えていき、「今の自分」で「今世」を生きるという明確な意図によって、「今世の自分」の「今世の望み」をはっきりとさせることができるのです。
エゴが過去の栄光と思っているものは、他にもあります。
エゴは、苦労し、寝る間を惜しんで働いて、結果を手にいれる、というストーリーが大好きで、過去の自分の苦労を勲章のようにしています。
エゴは常に、何かが足りないと感じ、様々な苦しみを生み出しているので、自分の苦しみに意味がある、意味があったと思いたいのです。
そのため、多くの苦しい経験のあとに成功を手に入れた人は、自分の苦しい経験を重要な価値があるものだと考え、手放すことができなくなります。
たくさん苦労して成功した自分は、特別で選ばれた人だと思うことは、エゴを喜ばせるのです。
でも、過去の経験が手放せないのは、まだ、完全にそれが癒されていないからでもあります。
つまり、エゴは、自分の苦しい経験がまだ自分の中で生々しく、痛みや恐れを生み出し続けているので、それに意味をもたせることで安心したいのです。
「苦しい思いをしたから成功した」ということに価値をおけば、「苦しくなければ成功しない」という思い込みを持つことになります。
そのような思い込みを持っていれば、当然、苦しい出来事を次々と引き寄せてしまいます。
苦労した自分に価値を見いだせず、楽々と成功した人を認めてしまえば、自分が「悪い」からひどい目に遭ったということになる、とエゴは考えます。
自分を愛していなければいないほど、自分が「悪い」と感じるのを避けたいのは当然です。
今世どう生きてきたか、苦労をどれほどしたか、は、あなた方の価値とは、まったく関係がありません。
あなたが苦労したのは、あなたが今世のテーマとして抱えてきたものを癒すために必要だったから、というだけのことです。
そして、あなたが今世のテーマとして抱えてきたものがどのようなものであれ、それは、過去世であなたが悪い行いをしたから、ではありません。
一つの魂が転生を続けている訳ではなく、ひとたび肉体を失えば、魂は溶け合い混ざり合った状態に戻るのです。
あなたが今世のテーマとして抱えてきたものは、あなたが今世それを引き受けたという以上の意味はありません。
エゴは常に自分と誰かを比較して上下をつけたがりますが、すべての比較はまったく無意味です。
もちろん、あなたの本質は、そのことをよく分かっています。
すべての不調和は、エゴのこだわりでしかないのです。
エゴのこだわりは緊張や強張りを生み、あなた方の肉体に緊張や凝りや張りや、時には病気として現れます。
心と身体を優しくほぐし、リラックスすれば、あなた方は、健やかでいられ、「今この瞬間の自分」で「今この瞬間に起こること」に応じられます。
知識や価値観や思い込みではなく ー それを参考にしたとしても ー 優先されるのは、今この瞬間に最も大切なことになります。
ですから、それがどんなに良いものに思えても、一時的には必要であっても、すべてのこだわりは、必要のないものです。
あなたが健やかでいるとき、誰かから見ればあなたが何かにこだわっているようでも、それは、あなたのその瞬間の自由意志に基づいたもので、たまたま同じことが連続しているのにすぎません。
こだわりを手放すと、自分が消えていくようで、エゴは強い恐れを感じますが、今この瞬間に必要ないものから、少しずつ手を放してみてください。
あなたの中からこだわりが消えていけば、それに伴って思考も静かになっていきます。
(単純にエゴが考えることがなくなっていくからです)
エゴによって、過去と未来に散っていたエネルギーは、今この瞬間に集中し、あなたはより感覚的になり、今この瞬間に開いていきます。
○あなたの人生すべてにスピリチュアルなことが関わっています
そう聞くとあなたは、もちろんそうだろう、と思うでしょう。
でも、エゴは、自分に都合よく、そのことを忘れたふりをします。
例えば、
自分がお金を払って、サービスを受ける側に立ったとき、
商売をしていて、売り上げを上げたいとき、
部下に期待通りの仕事をさせたいとき、
恋愛相手に権利を主張したくなったとき、
嫌なことをした相手を正したくなったとき、
・・・それらは、「社会的・常識的に正しいこと」だから、と無意識的にスピリチュアルから「例外」扱いされがちです。
私たち天使は、そのようなことをするのが悪いと言っているのではありません。
でも、あなたの人生の中に例外を作ると、あなたの本当の望みに集中するべきエネルギーが分散されます。
行動は、言葉より強力なアファメーションとなります。
あなたの行動は、あなたの意図の表現として、望みと同じように、宇宙に伝わります。
つまり、例外は、宇宙から見れば、あなたがどちらに進みたいのか一貫性がないように映るのです。
自分を愛していないと、エゴは、自分が他者から大切にされるかどうか、権利が守られるかどうかに、こだわります。
そして、自分が大切にされていないと感じると猛烈な怒りに駆られ、相手に自分の権利を主張したくなるのです。
お金を払って、それに見合うサービスが受けられなかったとき、あなた方は「当然自分の権利を主張しても良い」と考えます。
でも、どうぞ、そのようなとき、相手の守護天使、あなたの守護天使に声をかけてみてください。
「お金を払っているのだから当然サービスされるべき」という価値観(とそれによる行動)は、貧しさのアファメーションとなることもあります。
あなた(のエゴ)が、十のことを主張したいとしても、スピリチュアル的に見れば、お互いにとって、その半分程度の主張が最善かもしれません。
また、あなたが何かを売って、売り上げを上げたいときも、相手の自由意志を尊重し、相手と交渉しながら、何がお互いにとって最善なのか、瞬間瞬間に見極めながら進めてみるといいでしょう。
頭で考えて、良い悪いを決めるのではなく、スピリチュアル的に正しそうなことに照らすのでもなく、その時々に、最善のことができるよう、私たち天使に声をかけてみてください。
それはあなたにとっては、ちょっとした実験や冒険のようなものです。
エゴは、自分の権利が守られなかったら、売り上げをあげられなかったら、どうしたらいいんだ、と深刻になりますが、あなたの本質は、そのようなことを楽しむ余裕があります。
「当然」と思うことの中に、スピリチュアル的に新しい視点、新しい意識を持ち込むことで、あなたの人生から例外が消えていき行動を含めたあなたの一貫した意図が、あなたの人生全体を変えていきます。
自分を愛するとは、自分に幸せをもたらすことでもありますが、人生に例外を作らず、すべてにスピリチュアルな視点を持ち込めば、これまでとはまったく違った感覚の中で、たくさんのことに幸せを感じられるようになります。
そのような幸せは、今のあなたの想像をはるかに超えた新しい幸せです。
○新しい感覚は突然やってきます
ふとした瞬間に、あなたは、何も状況が変わっていないにもが関わらず、自分が満たされていて幸せだと感じるかもしれません。
また、ある瞬間には、自分でいることが気持ちいいと感じるかもしれません。
道行く人を親しく感じ、木や花に話しかけたくなることもあるかもしれません。
瞑想中に宇宙との繋がりを感じ、深い安心の中にいることがあるかもしれません。
頭の中に飛び交っていた思考がなくなり、静けさに気づくかもしれません。
そのような素晴らしい経験は、いつも、あなたがそれを「追い求めないとき」「意図しないとき」に起こります。
そして、そのような感覚に気づいてそれを維持しようとしたり、追いかけようとしたりすると消えていきます。
一度そのような感覚を味わうと、また同じ心地よさや安心や幸せや静けさを感じたいので、そのような状態になろうとしますが、そうなろうという意図があるときには、うまく行きません。
エゴは、一度体験した感覚を模倣して、それらしいものを作り上げ、自分がそのような感覚の中にいると思い込ませようとしますが、その偽物の感覚を本物だと信じ込んでしまうと、本物の感覚を感じられなくなってしまいます。
どうぞ、そのようなエゴの動きに気づいてください。
(ですが、もちろん、そのようなことをしていたとしても、エゴが悪い訳ではなく、責めたり、否定したりする必要はありません)
エゴが求めれば求めるほど、そこに意図が生まれ、素晴らしい経験から遠ざかってしまいます。
そのエゴを理解し、癒し続けていれば、あなたがふと「求めることを忘れていた瞬間」に、また、素晴らしい経験がやってくるでしょう。
(エゴは、そのように聞くと自分が「求めることを忘れているふり」をします)
あなたがそのような経験に対する期待を手放し続ければ、それはだんだんと頻繁に起こるようになり、やがて、あなたにとって、当たり前の状態になっていきます。
そうなったとき、あなたは、自分が何をしているのか、ただ見ているような感覚になるでしょう。
あなたと自分自身との付き合い方が、スピリチュアルな能力を高める鍵、すべてを変える鍵なのです。
○今この瞬間に「足りないもの」はありません
エゴは、今この瞬間に自分が満たされていると感じてしまえば、何も手に入らないのではないかという恐れを抱きます。
(エゴのいつもの恐れのパターンの一つです)
あなたの本質は、何かを持っているかどうかに関わらず、ただ満たされています。
それは、エゴにとっては、とても恐ろしいことなのです。
でも、本当は、満たされていることに気づけば、足りないものがなく、必要なものは今ここにあると分かるだけのことです。
あなたの本質が何かを必要とするときには、常に、それはそこにあります。
宇宙が決してあなたを見捨てることなく、いつも、手厚くケアをしている、とは、そういうことなのです。
スピリチュアル的に見れば、自分の内面(魂)に属しているもの以外、あなた方の持ち物はありません。
あなたの今世の肉体が機能を停止するとき、物質界に属するものは、スピリチュアルな世界に持って行くことはできません。
大切にしていた所有物、お金、家、仕事、愛する人・・・そのどれとも、スピリチュアルな世界に戻るときには、離れることになるのです。
所有という意識が薄れ、すべてのものがやって来て、必要な時間だけ一緒に過ごし、やがて去っていくのだという感覚になれば、世界に属する人やものとの間に、新しい自由な友情を感じられるようになるでしょう。
エゴも欲望も、存在している以上、あなた方にとって意味のある大切なものであり、これまであなた方がしてきたように、それらを押さえつけ、切り捨てる方法では、あなた方人間はこれ以上進化できません。
エゴや欲望に寄り添い、受け入れ、時には入り込むことによって、それらをより良いものへと変えていくことができるのです。
怒り、泣き、笑って、美味しいものを食べ過ぎ、長いお昼寝をし、性的な喜びに溺れるような、エゴと欲望を体験することは、泥の中に根を張るようなものです。
泥の中に根を張らなければ ー 物質世界と生々しく関わることなしに ー 高く伸びることはできません。
物質世界と生々しく関わることが、グラウンディングなのです。
あなたが、この物質世界に属している以上、そこにあるものを否定して、精神的高みに達することはできません。
あなたが人間として、ごく当たり前に持っているエゴや欲望から生まれる感覚や体験を、大切にしてください。
スピリチュアルな視点を持ち、自分のすることを見つめながら、宇宙の流れのままに、あらゆることを体験しましょう。
あなたが、自分を成長させようとすることすら忘れ、今この瞬間に没頭したときに、追い求めてきたスピリチュアルな成長を遂げることができるのです。