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宇宙は、あなた方だれにも同じように親切で、同じように愛を降り注ぎ、常にあなた方を手厚くケアしています。
あなたの本質が望むこと、心から望むことは、必ず叶えられるようになっているのです。
なぜなら、宇宙は、あなたに必要なものは何であれ与え、あなたの本質は、あなたが本当に必要なものしか望まないからです。
あなたは、何が本質で何がエゴ的な望みなのか分からないと思うかもしれないけれど、諦めようとしても諦めきれないもの、忘れていたつもりでも、ふとした瞬間に思い浮かぶものは、あなたにとって、大切な意味があります。
本質の望みとエゴ的な望みを見分けるためには、それを望み、望みが叶うように行動してみればいいのです。
あなたは、「間違った望みを追いかけること」を恐れるかもしれません。
あなたのエゴは、「間違ったことをする自分には価値がない」と思っているので、行動するより前に「正しいか間違いか」を判断しようとします。
意識的には、時間やお金やエネルギーを無駄にしてしまうのが嫌だからと考えることもあるでしょう。
そのようにして、あなた方は、頭で判断して本当の望みを諦めようとします。
でも、それが本質かエゴかに関わらず、今のあなたの「したい・欲しい・そうなりたい」という感覚をないがしろにしないで、素直に望み、それに対して、今できることをするのは、自分に対する愛そのものです。
あなたは、愛する人が何かを欲しがっているときには、それが「正しいか間違いか」を判断しないのではないでしょうか。
あなた方が、間違い・無駄と考える何かをしてみて、「それは自分の本当の望みではなかった」とはっきりと分かることは、潜在意識的にはとても意味があります。
「あのとき、ああしていれば」という後悔は、何かをしてそれが間違いだったと分かるまでに使うエネルギーよりもずっと、長い期間あなたの中に留まり、エネルギーを浪費させるのです。
何かをしてそれが間違いだったと分かるまでに使うエネルギーは、後になって、あなたがそれをネガティブに結論付けない限りポジティブですが、後悔は、常にネガティブです。
そして、「あのとき、ああしていれば」から始まる後悔は、「今はもっと違った人生だったはず」という空想へと繋がりがちで、あなたを今この瞬間から引き離してしまいます。
今この瞬間に繋がっていなければ、人生を変えることはできません。
望みはたくさんあるかもしれないけれど、あなたが、「今この瞬間」自分が何をすべきか、何をすることを望んでいるかに従えば、自分がこれから先に、何を本当に望んでいるのかが、はっきりと分かるようになるでしょう。
じっとして、あれこれと考え続けるより、ある方向にほんの少し踏み出すことで、新しい視界が開け、新しい展開があるものです。
あなたが最初に望んだことそのものがあなたの本当の望みでなくても、踏み出した結果、本当の望みを見つけられるかもしれません。
宇宙があなた方に与えるものは、あなた方が頭で考える「正しいかどうか」「無駄にならないかどうか」を超えて、もたらされるのです。
あなたにとって、本当に無駄なのは、「正しいか間違いか」にこだわり、じっと立ち止まったまま、考え続けていることでしょう。
あなたの望みは、宇宙の法則の中で、叶えられる仕組みになっています。
それはつまり、あなたは、幸せになるのが当たり前だということです。
○望みを叶えるために
望みを叶えるために、今できることをすると言われても、あなたは、何をしていいか分からないかもしれません。
それが分からないときには、常に、「今この瞬間」自分が何をすべきか、何をすることを望んでいるかに従ってみてください。
望みを叶えるための行動とは、例えば、あなたが、ピアニストになりたいなら、練習をすること、と考えるでしょう。
練習に限らず、音楽の勉強をしていれば、望みを叶えるために行動している、と思えるかもしれません。
そのようなあなた自身の能力に関わることは、もちろん、直接的に何かをすることなしに、望む結果を手に入れられません。
でも、スピリチュアル的に見れば、そのような直接的な行動(努力)とともに、ポジティブなエネルギーが蓄積されているかどうかに意味があります。
努力が間違いではなく、そのエネルギーの原動力になっているものが、誰かに認められたい、とか、見返してやりたい、とか、勝ちたい、ではなく、そうすることが自然だと感じるから、とか、楽しいから、であれば、ポジティブなエネルギーが蓄積されます。
でも、努力の原動力がどうしてもネガティブなものになるなら、そのときには、それでいいのです。
完璧である必要はなく、あなた方の気持ちはあなたが気づいている以上に複雑で、ポジティブだけ、ネガティブだけ、ということは、ほとんどありません。
誰かを見返してやりたいと思っていても、練習そのものを楽しんでいる瞬間もあるでしょう。
楽しく練習を続けていても、誰かに認められたいと思うこともあるはずです。
宇宙は、常に、あなたに完璧さを要求せず、ネガティブなエネルギーを蓄積したからといって、必ず結果が出ない訳ではありません。
また、あなたの望みが、恋人が欲しいとか、結婚したいとか、誰かと仲良くなりたいというような、自分以外の人の自由意思が関わる場合には、直接的な行動が、むしろ、願いを叶える妨げになることがあります。
直接的な行動とは、恋愛相手を探すことだったり、相手の気持ちを変えようとすることだったり、自分を好きになってもらおうとすることだったりしますが、それは、宇宙の流れに逆らい、相手の自由意志を侵害することになる場合が多いのです。
あなた方のエゴは、望みがすぐに叶わないかもしれないと思うと、すぐにそれを諦めようとします。
また、望みが叶うことに執着すると苦しくなり、執着を取るために諦めなくては、と考えます。
望みそのものや、執着を消すために、諦めという反対のものをぶつけて、破壊しようとするのです。
でも、すぐに叶うように見えなくても、それに対して直接的に何もできなくても、本当の望みというのは、大切にされるべきものです。
宇宙は、あなたの本質が望むものを、必ず、あなたに与えてくれます。
宇宙との信頼関係が深まっていけば、宇宙のタイミングを信頼して、待っていられるようになるのです。
今すぐに欲しいと思うものが与えられないのなら、今が最善のタイミングではないのだと、思うことができるようにもなるでしょう。
自分が本当に望むものを諦めようとするのは、自分との信頼関係を壊し、自分を深く傷つけます。
そのため、自分の本当の望みがどうせ叶わないと諦めてしまっている人は、他の誰かが大切にしようとしている望みを、安易に否定したくなります。
自分にしていることを、自分以外の人にもするからです。
望みを持てば、それが叶って欲しいと思うのは当然ですが、執着を手放し、宇宙に委ねて、あなたが、安心していられる道はあります。
(それを自分に言い聞かせて、無理やり納得させるのではありません)
自分の望みを大切に育みながら、願いが叶うかどうかにかかわらず、今この瞬間に、あなたが安心していられることに焦点を当ててください。
○誰かの自由意思に関わる望み
自分以外の誰かの自由意思に関わる望みで、あなた方が最も執着しやすいのは、恋愛に関わるものでしょう。
人間関係は、人生の様々な要素のすべてに必ず関わる大切なもので、あなたが誰かと関われば、あなたの中の何かが、必ずそこに映し出されます。
恋愛は、人間関係の中で、最も、自分を癒し、愛に近づくための機会です。
言い換えれば、恋愛とは魂のレベルで相手と最も近づく関係であり、それ故自分自身との関係が最も映し出されるのです。
つまり、結局のところ、恋愛のような自分以外の人の自由意志が関わる願いを叶えるためにできるのは、自分を愛すること、自分を幸せにすることだけです。
恋愛相手を求める理由の一つは、「自分が愛されたいから」でしょう。
もし、「何の制限もないとしたら、恋愛相手に何をして欲しいか」考えてみれば、あなたがどのような愛情を求めているのか ー あなたにどんな愛が足りないのか ー が分かります。
愛して欲しい相手に、愛情表現として、して欲しいことは、「あなたが自分自身にできていないこと」がほとんどです。
自分を認めず、否定して、自分に愛を注がないでいれば、自分以外の誰かから愛情をもらうしかなくなってしまいます。
愛が足りなければ足りないほど、自分に愛をくれる(またはくれるであろう)誰かへの執着が強くなるのです。
それはつまり、執着を手放すためには、自分が足りないと思っている愛を自分で注ぐ必要があるということです。
あなた方は、執着は悪いものと決めつけて、愛が欲しいと求めている自分の感情に寄り添うことなく、自分に愛を注ぐこともなく、ただ、それをどうにかしようとします。
そのようなことが、うまくいくはずがありません。
だから、望みがなくなれば楽になるだろう、とエゴは考え、すぐに、諦めようとするのです。
エゴが何をしたとしても、本質からの望みをなくすことはできません。
あなたにどうしても好きな人がいたとして、今は、離れてしまっていたとしても、「どうしても好き」なら、好きでいることをやめることはできないのです。
あなた方は、白か黒か、とすぐに結論付けたがり、執着があれば、愛はないのではないか、と考えます。
あなた方の恋愛の中では、本質的にある人を愛していながら、同時に、愛が足りないエゴが相手に執着しているという状態が頻繁に起こっています。
あなた方の内面で生起している感情は、白か黒か、というような何か一つのものではなく、愛もあれば、執着もあるという状態で、複数のものが混ざり合っているのです。
あなたが今好きな人が、あなたにとって本当に大切な人かどうか見極めるためには、執着を少しずつ手放していくと分かります。
執着を手放しても、何かが残るなら、それは、本質的な意味のある感情だということです。
そのようにして、結論を出すためには、時間が必要であり、あなた方のエゴは、そのようなことをしている暇があったら、さっさと次の人を探した方がいいのではないか、と自分を焦らせ、急かします。
でも、あなたが今好きな人が、あなたにとって本当に大切な人かどうか見極めることは、愛を育むことに他なりません。
今、自分の中にある愛を大切にすることなしに、本当の愛を育める相手と出会おうとしても、うまくはいきません。
もし、誰かと出会って恋に落ちたとしても、自分の愛を妥協した分だけ、相手からの愛を感じられなくなるでしょう。
あなた方は、「間違った望みを追いかけること」「間違った相手を愛すること」を恐れます。
自分が今好きな相手が、ソウルメイトかどうか、にひどくこだわることもあります。
でも、今好きな人が、間違った相手だったとしても、今ある気持ちを大切にせず、うまくいくかどうか(成就するかどうか、結婚できるかどうか)だけを追いかけるなら、手にするのは、愛でないものでしょう。
執着を手放すために、まず、執着してしまう自分の気持ちに寄り添ってください。
執着するのは、苦しいからです。
自分に自信が持てなかったり、自分に価値がないと思っていたり、自分に幸せがやってこないと思っていたりすれば、自分以外の何かに執着したくなるのは当たり前です。
執着に寄り添い、耳を傾けて、何が苦しいと思っているのか、問いかけてみてください。
あなたが望むなら、私たち天使は、その苦しさを手放すサポートをします。
そうやって少しずつ、執着を手放しながら、あなたが愛する人にして欲しいことを、まず自分でしてみてください。
そのようにして、あなたとあなた自身との間に愛が育まれていけば、あなたを愛する人が、その愛に引き寄せられて現れます。
誰もが愛に溢れている人、幸せな人と一緒にいたいのです。
自分が愛に飢えながら、自分を潤してくれる相手を探すより、自分が十分に愛に満たされていて、愛に溢れた人が現れるのを待っていた方が、ずっと早く望む恋愛を得られるでしょう。
○恋愛は、人間関係の中で、最も、自分を癒し、愛に近づくための機会です
ですから、職場の同僚や、友人や家族との関係が良くなると、次のステップとして、恋愛がやってくることがあります。
恋愛では、「何かあれば離れてしまうかもしれない」という恐れを抱えることになり、その恐れに対処するために、相手の自由を奪おうとするエゴが浮き上がってきます。
職場の同僚は、嫌でも付き合わざるを得ない関係ですが、その場だけしのげば何とかなるものです。
友人は、基本的に、仲良くしても、それ以上の関係に発展することはなく、相手が自分だけと付き合う訳でなく、誰かと合わなければ別の誰かを見つければいいと、比較的、軽く考えられます。
また、家族との関係は、「縁が切れることがない」という安心感があります。
ですから、そのような関係の中で、自分を素直に表現したり、適切な距離をとったり、相手の不調和を理解したりできるようになると、次の成長として、スピリチュアル的に意味のある恋愛がもたらされるのです。
どうしてもこの人が好き、という恋愛では、相手にずっと自分だけを好きでいて欲しいという気持ちが強くなり、相手を束縛したくなります。
相手の自由を奪おうとする思考や行為は、常に、愛ではなく、そのような気持ちを癒すことは、スピリチュアル的に意味のある恋愛においての大切なテーマです。
なぜ、相手を束縛したくなるのでしょう。
それは、もちろん、相手が離れていってしまうのが怖いから・・・というのが理由です。
つまり、相手の自由を奪いたくなるのは、恐れによるものだということです。
相手との間で、愛を育むためには、恐れを癒し、手放さなくてはいけません。
でも、エゴは、自分が変わるのが嫌なので、相手を変えようとします。
そして、自分の恐れを相手がどれだけ尊重してくれるかが、愛の証明だと考え、自分の恐れからの要求が受け入れられなければ、愛されていないと思うのです。
あなた方の常識では、誰かと特定の恋愛関係になると、その相手が、別の異性との関わりを減らすことは、相手の義務であり、自分の権利のように考えられています。
でも、愛に権利も義務もありません。
相手は、あなたを心配させないために、異性との付き合いを減らすかもしれませんが、それは相手の自由意志によるものであり、義務でも権利でもありません。
もしかすると、あなたは、自分が別の異性との付き合いを減らし、だから、相手にも同じことをして欲しいと主張したくなるかもしれません。
それは、駆け引きであり、愛とは無関係のものです。
相手と自分が、それぞれ誰とどう付き合うかは、本来、頭で考えて制限することではなく、自分の本質にとって、正しいかどうかによって決まるものです。
エゴは、自分の恐れを消すために、相手と駆け引きしたり、脅したり、試したりしますが、そのようなエゴの作為的な意図は、結局のところ、育とうとしている愛を破壊してしまうことになります。
とはいえ、相手が離れていくことへの恐れは、恋愛において、最も重大であり、簡単に手放すことはできません。
エゴは、相手が離れていくことへの恐れを手放せば、本当に、相手が離れていってしまうのではないかと、恐れを癒すことを嫌がりますが、恐れを抱いたまま、恋愛を続けるのは、不安定な平均台の上で愛を語り合うようなものです。
だから、多くの人が、相手を意図的に束縛せず、安心できる方法として、結婚を望みます。
(もちろん、それだけの理由ではありませんが)
結婚に対する思いは、人それぞれ違いますが、あなた方の潜在意識の中には、結婚すれば、ある意味公に、自分の権利として、相手を束縛できるという思いがあります。
でも、結婚そのものとはまったく関わらず、恐れを手放せば、相手との間で、自然に愛を循環させられるようになるのです。
それはとても難しいことですが、完全には手放せなくても、恐れに向き合い、その中身にどのようなものが含まれているのかを詳しく分析すれば、恐れを小さくできます。
すでに安心できる状況にいれば、今さらそのようなことをしたくないと思うかもしれません。
もちろん、それは、あなたの自由意志に委ねられています。
そして、どんな状況であっても、今のあなたにとって、自分のしていることが正しいと感じるとき、今はできないと思うときには、あなた自身の感覚を大切にしてください。
○望む恋愛や結婚を引き寄せるために
恋愛相手や結婚相手が現れなかったらどうしようとか、相手が離れていったらどうしようという恐れは、恋愛や結婚への執着となります。
執着は、あなた方にとって、とても苦しい感情です。
執着しているときには、今ここに自分の望むものがなくて、それを渇望しているか、自分の望むものを手にして、それがなくなるのを恐れているかのどちらかでしょう。
どちらも、今この瞬間でないものを、欲しがったり、恐れたりしているということです。
望む相手が現れる前に、ある程度の執着を手放し、相手が現れた後も、執着を手放し続けることは、愛を育み、関係を続けていくための大切な要素です。
何故、恋愛相手や結婚相手を望んでいるのか、いなくなることを恐れているのか、その理由に目を向け、愛でないものを手放してみてください。
例えば、一生一人でいるのが寂しいから、将来が不安だから、自分一人で自分の生活を支えていくだけの収入がないから、仕事を辞めたいから、家事をして欲しいから・・・・というのは、本来、恋愛相手とは何も関係のないことです。
話を聞いて欲しい、優しくして欲しい、愛して欲しい、というシンプルな望みであっても、本当は、相手とは関係のないものです。
相手と自分の間で、需要と供給がお互いに受け入れられる範囲であれば、一緒に過ごしたり、生活したりできますが、そのバランスが悪ければ関係を維持するのが難しいことは、容易に想像できるでしょう。
相手が要求していることを直接伝えられなくても、それがどのくらいの大きさかは、感覚的に感じるものです。
自分が応えられない、応えたくない大きさの要求を相手が抱えていれば、無意識的に関係を築くことを避けようとします。
特に女性は、自分で自分の生活を変える力がない、と判断すると、人生を変えてくれるものとして、恋愛や結婚を望みますが、それは自分の人生を相手にすべて背負って欲しいと言っているようなものです。
今のスピリチュアルな時代において、あなた方の本質は、自由でいることを望んでいます。
だから、自分の人生を誰かに委ねようとする要求は、宇宙の流れ、時代の流れに逆らっているので、なかなかうまくいきません。
だからこそ、自分を愛し、まずは自分で自分を幸せにしようとすることが、恋愛を引き寄せるために必要なのです。
もし、あなたが、自分では自分の人生を変えられないと思っていて、恋愛に期待をしていたら、がっかりして、嫌な気持ちになっているかもしれません。
でも、あなたの望みは、常に最善のタイミングで叶えられ、他のどのようなこととも同じように、宇宙は、あなたに完璧を求めているのではありません。
あなたのエネルギーや意図が変われば、あなたとあなたの恋愛相手にとって、最善のタイミングで、出会いや、恋愛や、結婚が訪れるでしょう。
あなたは、相手に執着せず、自由を制限せずにいることは難しいと思うかもしれませんが、もし、あなたが、自分の愛に集中し、内面的に相手を手放して、自由を尊重すれば、その相手は、あなたから離れることはありません。
そのような人は、稀有な存在であり、誰もが、自分の自由を尊重し、理解し、受け入れてくれる人の側にいたいのです。
○バランスの悪さによって起こる愛の弊害
恋愛において、相手との間で心地よく愛が循環するには、お互いが同じくらい自分を愛していることが必要です。
自分を愛している人と、自分を愛していない人が恋愛関係になると、自分を愛していない人の相手に対する要求が大きくなります。
自分を愛している人は、自分との間で愛が循環しているので、相手に多くを求めることはありません。
そして、自分を愛している人は、愛に溢れているので、余裕を持って相手を受け止めたり、受け入れたりすることができます。
エゴは、自分が受け入れられると、もっともっとと要求します。
その要求は、自分を愛していない人ほど、強くなります。
自分が受け入れられると嬉しくなり、また、自分を愛している人には余裕があるように感じられるので、もっと受け入れてもらえるだろうと思うのです。
だから、自分が愛せない自分の様々な部分(醜い部分)を、相手に受け入れてもらうことで安心しようとします。
自分を愛していない人(のエゴ)は、自分を愛している人のことが分からないので、余裕があるのだから、当然、受け入れてもらえるだろうと思います。
もちろん、自分が愛せない自分を無制限に相手が受け入れてくれることなどなく ー 自分を愛している人は、自分が大切にされないことに敏感なので ー それによって、関係性を壊してしまいます。
自分が愛せない自分を受け入れてもらおうという意図は、顕在意識で認識している訳ではありませんが、相手に受け入れられたと感じれば感じるほど、無意識的に、自分の嫌な部分をさらけ出したくなります。
わがままを言ってみたり、待ち合わせに遅れてみたり、つまらないことで怒りを爆発させたり、自分の苦しい過去を打ち明けたりすることは、自分を受け入れてもらおうとするエゴによる行為です。
それらが必ずしも悪い訳ではありません。
自分を厳しく律することよりも、恋愛を楽しむことが、とても重要です。
でも、どこかで、自分がエゴ的な行為をしていることに気づいていれば、エゴの要求の暴走を止めることができます。
自分のエゴは満足していても、相手が嫌な気持ちになっていることに、気づけるかもしれません。
エゴが自分では愛せない自分をさらけ出したくなるのは、相手との間で、愛が深まったと感じた瞬間です。
お互いの間で、純粋な愛が循環したと感じると、エゴは、今までよりも自分を受け入れてもらえるに違いないと考えるのです。
ですから、そのようなときには、「急に何かを思いついて相手に何かしたくなる自分」に注意深くなる必要があります。
嬉しいときには、それがエゴのものだと気づきにくいものですが、嬉しさで自分を見失うのもエゴによるものです。
エゴは、もっと相手に受け入れられよう、早く結果を出そうとしますが、受け入れられたと感じたときほど、相手と近づく速度をゆっくりにするのです。
もちろん、エゴの暴走によって、相手との関係にヒビを入れたとしたら、そのときには、その出来事がお互いの間で必要だということです。
あなた方のエゴは、どこかで分かっていても、結果を急いで、自分を見失い、後になって考えれば、それが良い結果に繋がるはずがないことをしてしまいます。
それでも、エゴは悪いものではなく、エゴが暴走して何かをしてしまっても、間違いではないのです。
宇宙の計画は、それが起こることは織り込み済みであり、その出来事そのものを意味があるものにし、幸せに続くように導いてくれます。
いつもあなたがそのときにできるだけ、慎重になりすぎず、自分を責めず、制限せず、でも、安易にならず、自分に正直でいてください。
あなたの望みは、必ず叶えられるようになっているのですから。
○相手に自分の望みを伝えるには
もし、あなたが、内面的に相手を手放して、自由を尊重していたとしても、相手に「こうして欲しい」と感じることがあるでしょう。
相手のエゴも、ときには、暴走することがあるからです。
そのようなとき、誰もが自分を受け入れてもらいたいので、自分の意見を主張し、相手にそれを受け入れてもらおうとしますが、それは、エネルギーの押し付け合いで、なかなかうまく行きません。
言い争いや議論になったときには、エネルギーが強いか、言葉を巧みに操れる方が、相手を自分の思い通りにできるように見えます。
それは、あなた方のこれまでの時代で、当たり前に行われてきたことであり、そのような「交渉」が正しいのだという価値観は、あなた方の潜在意識に刷り込まれています。
どのような方法であれ、相手を説得しようとするときには、相手を変えようとする意図がそこにあります。
そして、スピリチュアル的に見れば、相手を変えようとする意図は、愛ではないのです。
だとしたら、自分にとって嫌な行為をされたとき、どうしたらいいのか、と、あなたは、思うでしょう。
相手に何かをされて、あなたが嫌な気持ちになったり、傷ついたりしたときには、「自分はそのようにされると悲しい、このようにして欲しい」と伝えてみてください。
それは、提案を手渡すようなもので、それを受け入れるかどうかは、相手の自由意志に委ねるしかありません。
相手は、それを受け入れるかもしれないし、受け入れないかもしれませんが、相手がどうするかによって、あなたは、改めて、自分がどうしたいかを自分に聞いてみればいいのです。
ただ、ほとんどの場合、相手の自由を尊重する気持ちがあれば、相手はあなたに尊重されたことで、あなたに協力しようという意識が働きます。
相手の自由を尊重するという意図は愛であり、愛を基盤にした「交渉」は、あなた方のこれまでの時代においてほとんど行われてきませんでした。
新しい心地よい提案は、多少時間がかかっても、相手の本質に届き、相手を動かします。
相手の好意によって、あなたが傷ついたときには、その感情を相手にぶつけるのではなく、私たち天使と一緒に手放してしまいましょう。
(もちろん、あなたが感情をぶつけてしまったのなら、そのときには、お互いにとって、それが必要だということです)
あなたが自分を愛せば、より、誰かを愛することができます。
お互いが多くを相手に要求しないとき、新しいコミュニケーションや、新しい愛の循環を体験することができるでしょう。
あなたが、それを望むなら、あなたは、必ず、そのような自由な愛を手に入れることができます。
自由な愛は、自分にはまだまだ難しく、簡単に手にすることなどできないと思うかもしれません。
でも、それは、あなたが思うよりずっと、あなたの近くにあります。
あなたのハートがどのような愛を望んでいるのか、問いかけてみてください。
そして、その望みを宇宙に解き放ってください。
宇宙は、あなたの望みを必ず叶えてくれるでしょう。