私たち天使は、いつもあなたの側にいて、あなたを守り、導いています。
私たちが導く先にあるのは、あなたが本来の自分として、愛に満ち、自由に生きられる人生です。
あなたが本来の自分として生きるためには、あなたが自分を愛することが鍵となります。
あなたの本質は、神聖なる創造主と一つであり、その本質(本来の自分)と繋がるためには、あなたが深く自分とかかわることが不可欠だからです。
あなたという存在は、あなたが認識している以上に広大であり(宇宙と一体なのですから、宇宙的な広がりがあるのです)、あなたがあなたの隅々までを理解し、受け入れることが、愛なのです。
宇宙的な広がりを持つあなたを隅々まで理解することは、簡単ではないように思えるかもしれませんが、あなたの愛が広がっていけば、それは思ったよりずっと楽にできることです。
愛とは、とても広い意味で使われる言葉であり、あなた方のこれまでの歴史の中で、様々に使われ、様々なイメージがついています。
私たち天使の伝える愛とは、「無条件の愛」ですが、「無条件の愛」という言葉にも、あなた方は、固有のイメージを持っています。
ですからどうぞ、愛という言葉の持つイメージを一度置いておいて、ただ、エネルギーとして、感じ取ってみてください。
あなたが言葉のイメージを外して、無条件の愛を体験すれば、それがどんなものか、すぐに分かるようになるでしょう。
○自分を愛するために
あなたは、自分を愛することについて、おそらく何度も耳にして来たし、自分なりに取り組んでみたりしたのでしょう。
でも、いつもよく分からないし、これでいいのだろうかと考えてしまい、自己否定をしたり、劣等感を持ったり、自分を責めたりして、自分を愛することができないとも思うのでしょう。
あなた方の本質は、創造主と一体であり、創造主は愛そのものなのですから、あなたの本質も愛そのものです。
その愛は、太陽の光のように降り注ぐものであり、あなたの本質から愛が溢れ出せば、それは、周り中に広がっていきます。
あなたの本質から溢れ出した愛が最初に届くのは、あなたの最も近くにいる人 ― あなた自身です。
あなたが、あなた自身を愛すること - 自分を愛することは、本来ごく自然で当たり前のことなのです。
それなのに、あなたが自分を愛せないでいるのは、ごく単純にエゴがあるからです。
エゴは、様々な条件付けや思い込み、トラウマ、インナーチャイルド、過去世などを抱え込んで、ちょうど、太陽の光を遮る雲のように働きます。
あなたは何かを変える必要はなく、何かが足りない訳でもなく、その雲を取り払い、光を指し込ませるだけでいいのです。
それは、本来のあなたを表に現すということです。
本来のあなたは、完全であり、あなたが今世生きて行くために必要なものをすべて持っています。
私たちが、あなたにできないことはなく、必要な才能があり、完璧な存在であると伝えるのは、そのためです。
あなたは、完璧な存在です。
このことを、いつも頭の片隅に置いておいてください。
私たち天使は、あなたが、本来のあなたとして、光り輝けるように導きます。
多くの人は、意識的であれ、無意識であれ、自分を愛することを利己的だと捉え、自分を後回しにすること(あなた方はそれを自己犠牲とか、謙虚さと呼んだりもします)が、美しいことだと思い込んでいます。
ですが、それは間違いなのです。
あなたが愛を広げるためには、あなた自身の中に愛を見出すしかなく、そのためには、何よりも先に自分に愛を注ぐことで、あなたの本質からの愛を溢れさせるしかありません。
そうなったとき、あなたの本質は宇宙と一体なのですから、あなたの愛に制限はありません。
あなたの本質は愛なのです。
自分を愛することとは、その愛の本質(本当の自分)に従うことです。
愛の本質に従うのですから、あなたが利己的になることなどあり得ません。
むしろあなたは、少しも自分が犠牲になっているなどと、考えることなく、与えているという感覚もなく、流れの中で、自然に、分かち合うことができるようになるでしょう。
あなたが、人を癒したいなら -
多くを分かち合いたいなら -
スピリチュアルな生き方をしたいなら -
・・・どれも、「自分を愛すること」が重要な取り組みテーマです。
あなたは、それを頭では分かるけど、どこか腑に落ちないと思っているでしょうか。
○頭で分かることが大切ではありません
頭で分かるとは、思考のレベルに他ならず、スピリチュアル的な理解とは、あなたの内面深く(潜在意識)に浸透吸収されることです。
あなたに拒絶がないときには、「頭ではよく分からない」と思っていても、やってきた知識や言葉は、あなたの潜在意識に浸透し、作用します。
そして、潜在意識の中で何かが癒され、気づいたときには、今までとは違う感じ方をしていたり、行動を選んでいたりするようになるのです。
ですから、頭で分かろうとする必要はありません。
(もちろん、そうしたいときにはそうしてかまいません)
多くの場合、あなた方は「頭で分かることが大切ではない」と聞くと、「頭で分かることは間違いだ」と判断し、「頭で分からない方が正しい」と判断します。
そして、「頭で分からないで浸透させる」イメージを自分の想像の範囲で作り上げ、そのように行動しようとします。
それらはすべてエゴが行っているのですが、意識的にではなく、ほとんど無意識的に行われ、何が起こっているかに気づくことができません。
正しいか、間違っているか、という一般的な規範ではなく、「今あなたがどうしたいか」に従うことが、いつも、あなたにとって正しいのです。
何が正しいか、自分の判断に自信が持てないときには、どうぞ、私たち天使に助けを求めてください。
またもし、あなたが何らかの知識や言葉に対して、拒絶や嫌悪感などを感じたときには、無理にそれをどうにかしようとせず、さらりと流しておいて大丈夫です。
あなた方のトラウマや思い込みは、表面的なもの、単に意識的なものでないことが多く、それらを刺激する知識や言葉を拒絶します。
でも、その拒絶をどうにかしようとせず、さらりと流しておけば、やってきた知識や言葉は、あなたの潜在意識のどこかのポケットに入っていて、しばらく何の変化も感じられなくても、あるとき、他の言葉と出会って、ふたつが絡み合うことで腑に落ちるような理解に繋がったりするのです。
深い理解に繋がるのは、あなたにとって、最善のタイミングです。
ですから、無理に見なくても、取り入れようとしなくても、まったく構いません。
ただ、「自分は、今は、受け入れられないんだな」と柔らかく理解していてください。
でも、もしかしたらあなたは、「他の人のできることが自分はできていないのかもしれない」などと思うかもしれません。
あなたが今できないことは、「今できなくて構わない」ということです。
「あなたができること」が、「他の誰かにはできない」ことかもしれません。
あなたができないことを、他の人ができたとして、それは、その人には、もっと別のテーマがあるから、というだけのことです。
できるかできないかということだけに目を向ければ(とはいえこの場合それすらあなたの想像に過ぎませんが)、他の人を羨ましく思うかもしれませんが、誰かを羨ましく思ったとして、それはその人の一部だけであることに気づいてください。
誰かが誰かを羨ましく思うとき、「その人になれたらいいのに」という気持ちをどこかに持っています。
また、ただ、「できていること」だけを見て、その一部だけを「手に入れたい」とも思っています。
でも、そうはいきません。
あなたがその人と入れ替わりたいなら、その人の「できること」だけでなく、「できないこと」も引き受けることになるし、誰かの一部分だけを切り取って、自分のものにすることもできません。
ある人がある時点で、何ができて、何ができないか、ということは、今世だけでなく、過去世も含めた長い歴史を通して、その人が幸せに向かって進む正しい道に必要な要素として、構築されたものだからです。
完璧なように見える人がいても、生きている以上、何らかのテーマを抱えています。
「できること」を羨ましいと思うあなた方の気持ちはよく分かりますが、それは、必要のないものなのです。
ですが、私たちは羨ましいと思うことを、悪いと言っているのではありません。
ですから、羨ましいと思うことがあっても、どうぞ、自分を責めないでください。
羨ましいと思うことを止めようとする必要はありません。
やがて「羨ましい」と思うことに何の意味もないのだと、あなたの中に深く浸透すれば、羨ましいという気持ちは、自然に生まれなくなっていきます。
○何をどうすることが、自分を愛することなのでしょう
多くの人は、「自分を愛すると言われても、何をしていいか分からない」と言います。
でも、あなたは、「愛する人に何をしてあげたらいいか」と聞くことはほとんどありません。
せいぜいプレゼントを何にしようかと聞くくらいで、プレゼントをあげることは既に決まっています。
愛する人が何をしたら喜ぶのか、落ち込んでいるときなんと言ってあげたら元気づけられるのか、あなたは一生懸命考えるでしょう。
そして、自分なりに答えを見つけるはずです。
あなたが自分を愛するために、愛する人にするのと同じように、自分に接してください。
あなたは、愛する人に会うと、自然に顔がほころんでしまうかもしれません。
美しい優しい笑顔を愛する人に向け、愛する人も笑顔を返してくれ、愛が循環されます。
それと同じことが、自分自身との間でできるでしょうか。
鏡で自分を見たとき(自分と目と目が合ったとき)、嬉しい気持ちで微笑みかけられますか?
おそらく、できていないはずです。
(ですから今あなたは、これを読んでいるのでしょうから)
きっと、「皺がある」とか「顔がむくんでいる」とか「もっと目が大きかったら」などと考えているのでしょう。
愛する人にはしないはずのことを自分にはしています。
(愛する人と目と目が合って、いきなり「皺がある」とは言わないですよね)
でも、「今日から鏡を見たら自分に微笑みかけましょう」と言いたいのではありません。
(鏡を見たら必ず微笑みかかけられるのが正しい、と言っているのでもありません)
もちろんしてもいいですが・・・・おそらく続かないはずです。
それは、何故だと思いますか?
愛する人になら、あなたは、元気がなく落ち込んでいるときでも、笑顔になれるかもしれません。
ときには、相手に不満を感じているときですら、何事もなかったように微笑みかけ、その笑顔に相手も笑顔を返してくれるかもしれません。
でも、相手が自分自身のときにはどうでしょう。
あなたが、本当はどんなふうに感じながら、「顔だけ笑顔を作っているか」を、自分自身に隠すことはできません。
あなたの笑顔は、自然なものではなく、愛が溢れた結果でもなく、嘘だということが、あなた自身にはすっかり分かっています。
今、鏡の中の自分に向かって微笑みかけられる必要は、まったくありません。
あなたの中の愛が育ち、ふと、鏡の中の自分に微笑みかけられるようになるのを待っていてください。
また、愛する人に対しても、「最初は、自然に微笑みかけていたけれど、長く一緒にいるうちに、今ではすっかりできなくなってしまった」ということもあるでしょう。
一体なぜそうなるのでしょう。
そのようなことは、多くの人がしていることで、当たり前のように思えます。
長く一緒にいれば、いつも微笑みかけてなんていられない・・・そうかもしれませんが、そのような関係性が、あなたの本当の望みでしょうか。
長く一緒にいると、あなた方は、自分と相手との見分けがつかなくなってしまいます。
長く一緒にいるだけでなく、特に親子のような関係では、自分と相手との区別がつかなくなり、境界があいまいになります。
すると、自分にしていることを、相手にもするようになるのです。
自分に微笑みかけられない分だけ、相手にも微笑みかけられないし、自分にひどいことを言っていれば、相手にもひどいことを平気で言うようになります。
(目と目が合ったとたん「皺がある」というような・・・)
でも、それも、多くの人がしている当たり前のことのようで、少々ひどいことを言っても関係が壊れないことを、愛が深まったとすら思っている場合もあります。
もちろん、言葉のやり取りがどのように見えたとしても、愛に基づいていることもあります。
でも、自分を愛していない分だけ、相手に愛のない言動をしているなら、その関係に愛はないということになります。
愛する人との間で愛を循環させていたいなら、自分を愛していなければいけません。
○自分を愛していないと何が起こるか
多くの人は、「自己犠牲」を美しく、崇高で、徳の高い行為だと思っています。
「自己犠牲」とまではいかなくても、自分を後回しにするのは、善いことだという価値観をもっています。
自分がそれをするかしないかは別にして、心の片隅に「自己犠牲」を讃える気持ちがあり、それによって、意識的にも無意識的にも自分を褒めたり、責めたりしています。
エゴは、自分が「自己犠牲的」な行為をした場合には、「自分は他の人より優れている」と思い、「利己的」な行為をした場合には、「自分は他の人より劣っている」と思います。
そもそも、「自己犠牲」の反対は、「利己的」ではありません。
確かに、自分のことしか考えないで、自分さえよければいいという態度は、不愉快で、醜いものに見えます。
でも、それは、エゴに基づく場合だけです。
あなたの本質(愛)に基づいていれば、利己的になるはずがないと、あなたにも分かるでしょう。
しかし、「自己犠牲」を美徳とする価値観が強く頑なであれば、本質に従っている人を「利己的」と判断することもあり、そのような判断は本質に従っている人の妨げとなります。
自分に犠牲を強い、自分を後回しにするのは、古い価値観によるものです。
無意識的にそれが善い行いだと決めつけていて、自分の本質に触れることなく、ただ、エゴのレベルで行為しているにすぎません。
(条件付けによってなされる行為は、すべてエゴによるものです)
それは、あなたの本質に従ったものではありません。
エゴには様々な側面があり、一部は自己犠牲的な行為に満足しても、別の部分は、自分が後回しにされることに怒りを抱いています。
また、エゴのレベルの行為なので、どこかで見返りを求めていて、それが期待通りでないときにも、怒りを溜めていきます。
見返りとは、対象の相手からの感謝というようなものだけでなく(見返りを求めるのは悪いことだという価値観も持っているので)、人生の他の部分がうまくいくというような「神様からの恩恵」への期待の場合もあります。
あなた方の中に蓄積された怒りは、「出すべきではない」という抑える力と、「怒りを爆発させたい」という外向きの力でいつも押し合っています。
それを維持するためには大きなエネルギーが必要であり、大切なエネルギーを無駄に浪費しているのです。
エゴのレベルの「自己犠牲」は、自分に我慢を強います。
もし、あなたの本質が、他の人から見て「自己犠牲」に見える行為を選択したときには、そこに「我慢」はありません。
自分に我慢を強いることは、自分を抑圧することであり、あなたのエネルギーを停滞させます。
我慢が長く続くと、自分が我慢していることを感じなくなり、痛みにも喜びにも鈍感になっていきます。
(我慢が長く続く状態は、自己犠牲だけでなく、環境や状況による場合もあります)
あなたが、スピリチュアルな能力を開花させ、私たち天使ともっとコミニュケーションし、本来の自分と繋がるためには、感覚が敏感であることが大切ですが、自己犠牲や我慢は、あなたの感覚を鈍らせるのです。
「自己犠牲を強いること」「我慢をさせること」は、自分を愛することではなく、自分を愛していなければ、様々な弊害を起こすことになります。
○影響はあなただけではない
あなた方は、長い歴史の中で修行的な人生を多く送ってきました。
それは、強大な力を持っていたエゴをコントロールしていくために、必要なことでした。
大いなる宇宙の流れに導かれた時代の変遷に目を向ければ、あなた方人間が、正しい道を進んできたことが分かるでしょう。
今は、新しい時代に入り、エゴとの新しい関係性が求められています。
エゴを抑圧すると、抑圧されたものはあなたの中に蓄積します。
あなたは、自分を抑圧して、自分がそれをコントロールできればそれでいいのではないか、と思うかもしれません。
でも、あなたが自分を抑圧し、それがあなたから出られなくなると、抑圧されたものは、あなたの周囲の誰かに取りつき、あなたに自分を認めさせようと主張してきます。
それが、怒りなら「怒りっぽい人」が、自己犠牲によって抑えられた利己的な部分なら「自分勝手な人」が、陽気でいることでさえ無理矢理にしているなら「元気がなく暗い人」があなたの周りに現れます。
あなた方の常識では、それは単にその人の性格であり、自分とはまったく関係がないということになりますが、そうではないのです。
「自分を抑圧して、自分がそれをコントロールできればそれでいい」というのも、エゴ的な考えであり、影響は、あなただけに留まりません。
あなた方は、あらゆる意味で繋がっているのです。
○もし自分を否定する気持ちになっていたとしても、その必要はありません
あなたは、あなたが良くないと判断することが、自分に当てはまっていると、自分にがっかりし、自分はだめだと思ったり、責めたりしたくなるかもしれません。
でも、そんな必要はないのです。
私たちは、あなた方の何かによって、態度を変えたり、価値を下げたり、罰を与えたりするようなことはありません。
私たち天使にはエゴがなく、それゆえ、あなたがどうであれ、いつも変わらず、ただ、あなたを愛しています。
あなたにも、私たちと同じように、あなた自身を見つめられるようになってほしいのです。
私たちが、ときに、あなたが受け止めにくいようなことを伝えるのは、あなたが理解することによって、それを完全に手放せるようになるためです。
古い価値観、思い込み、そのようなものが、あなたから取り去られれば、あなたは、ただ、本質からの愛の光となります。
あなたは、どのようなときも、一瞬たりとも、自分を否定してはいけません。
あなたが、あなた自身の良き理解者となってください。
あなたが、どんなにあなた自身に甘く、優しくなったとしても、大丈夫です。
このことを、これから先、ずっと覚えていてください。
もちろん、今はそうできなくても構いません。
すべては宇宙の完全なる秩序の中で起こっていて、今できないことは、今できなくていいのです。
○ 始まりはゆっくりと
あなたは、まだ、スタートラインに立ったばかりです。
あなたは、これまで漠然と、自分を愛することができていない、と感じていたのでしょう。
まずは、あなたが、どれくらい、どのような場面で、どのようにしていることが、自分を愛していないということなのかに気づいてください。
それによって、自分を責める必要はありませんが、もしかしたら、あなたは、自分に謝りたくなるかもしれません。
もし、自分に「ごめんね」と言いたくなったら、心を込めて、そう伝えましょう。
それも、自分を愛することの大切な一歩です。